仕事がストレスフルで、仕事に妊娠の邪魔さえされている気がした。
患者に棒体操の棒でお腹を突かれて「まだ子供ができないの?」と言われた屈辱や、
一緒に働く妊娠を見るのも苦痛になってきたこと、
こんな状態で心身共に限界であること、
体調不良も続き人工受精では希望が持てなくなってきたこと、
排卵日がバラバラで毎回の休みの調節が難しくなってきたこと、(スケジュール調整はしてくれるけど、バセドウ病の通院のこともあり、明らかに休みが足りず、露骨に嫌な顔をされることもある。)
人工授精残り5回以内で妊娠しないと、せっかく手術をしたのに体外受精になること・・・
上司にいろいろ話した。
退職を決める
上司に、辞めないように一通り説得された後、
「精神科に行って、うつ病の診断書を書いてもらって、休職して傷病手当をもらいなさい。」
と言われた。
私自身おかしくなってるのは分かっていたし、カウンセリングも行っていた。
精神科を受診することに対してももちろん抵抗はない。
ただ…以下言葉の通り。
「私は前、バセドウ病で休職した時は、医師の判断で休職が必要と言われてそうしました。
自分がおかしいこともわかっているので精神科に行くことは抵抗はありません。
でも・・・
休職が必要かどうかは医師の判断で決まるものじゃないんですか?
初めから休職目的で、受診するのってどうなんですか?
それに、もしそれで休職となっても戻ってくる約束もできません。」
診断書を書いてもらってでも必要としてくれてる✨とは思えなかった。
むしろ、診断書を書いてもらってでも私に留まって仕事を任せたいんだ…やはりここにいたら潰される、と思った。
そう思うのは上司との普段の関係性もあるのだと思うけど。
匿名だから言わせてもらうが、もともと私はこの上司が人として嫌いだった。
別に上司が嫌いだなんて、珍しいことでも何でもないと思うし、上司の愚痴を書くブログでもないので割愛するけど、
すぐ診断書で休職とかが発想として出てくる、その狡い思考回路…
普段からそんなことを考えてる人間でしか思いつかない発想だと思う。
口が上手く、狡猾でいつも人を騙して利用する。そういうところが嫌いだった。
こうなったら私は引かない。
上司のそういった態度で、逆に私に火が付いてしまい、その日のうちに話をつけて、なるべく早く退職を決めた。
「有給もボーナスもいらないからすぐに辞めたい」と言った。
正直、もう限界は超えていて、有給とかお金とかの問題ではなくなっていた。
一刻も早く退職しなければ壊れる。そう思った。
結局、有給を使い切って、ボーナス日の1日前に退職させられて、ボーナスは無しになった💧
酷い職場…と思うかもしれないけど、たった1日でも早く離れられて良かった。
それ程に切羽詰まっていた。
誤解があってはいけないので、書いておくと、職場のみんながみんな酷いやつなのではない。
演技で笑顔で振る舞う私を気遣ってくれる人もいて、今でもずっと交流は続いている。
患者の”子どもは?”攻撃から、話題を逸らせて庇ってくれたり
ただ廊下を歩いていただけで、呼び止められて「最近ちょっと痩せすぎじゃない?大丈夫?」と心配してくれる人もいた。
よく気付いてくれたなと今でも驚く。
でも私はこれ以上は自分を犠牲にできない。
私は退職を決めた。
もちろん勝手に退職を決めたわけではなく、夫にも話していた。
急に辞める!!と話をしたわけではなく、日頃から仕事のことは話していた。
患者さんに言われた屈辱的なことも、一緒に怒ってくれて嬉しかったし、
「たらすぱが、そんなこと言われながら、働いているのは嫌だ。仕事辛かったら辞めても良いよ。」
と言ってくれたことも嬉しかった。
でも、治療にはお金が要るから、今までは愚痴るだけで、退職する気はなかった。
今回、もう限界になって、辞めたい→もう無理!辞める!と言った。
普段の元気のない様子を見ていたこともあると思うけど、
今しかできない不妊治療に集中しようと、文句も言わずに承諾してくれたことは感謝している。
でも、お金も無限にあるわけではないし、体も限界がある。
夫婦で話し合って、退職し、35歳になるまでは治療に集中しようと決めた。
それ以降は、子どもは諦める!
(実際、そういうことになると、そんなにスッパリと諦めは付かなかったと思うけど)
理学療法士を辞めるとき
ここからは体調や通院に合わせて、有給消化しながらゆるっと働いた。
うつ状態だったし、あまり覚えていない。
休みができた分、回復するかと思ったけど、体が全然戻らない。
どんどん痩せていくし、しんどい。
受診日を早めてもらおうかとも考えたけど、多分いろいろあったからそのストレスだよね。
薬飲んでるし大丈夫。そう思い込んでいた。
退職に向けて、ぎりぎりまでやることが沢山あったから、病院の電話するのもしんどかった。
普通は患者さんに挨拶とかもするんだろうけど、黙って逃げるように辞めた。
なんでかやめるのか聞かれたら、無理だし、これ以上子どもの話をしたくなかった。
職員への挨拶も無難に済ませた。
病院は違っても10年もPTをしてきた最終出勤日。
少しは寂しくなるのかな?なんて思ったけど、
本当にしんどくてしんどくて…
早く帰りたいとしか思えなかった。
頑張ってきたつもりだったけど、私、10年も何してたんだろ?
自分の10年間全てを否定した。
最後に”一緒に写真が撮りたい”と言ってくれた後輩に対しても
「めんどくさい」と思ってしまった。
その子のことは好きでありがたかったけど、本当に体調が悪くて、早く帰りたかった。
退職のプレゼントも、このクソしんどい中、荷物増えんのかよ!とか思ってしまった笑
ケーキも用意してくれてたのに、不味かった。
あーあ、私、本当に10年も何やってきたんだか。
息切れも酷くて、頑張って家に帰って、ぐったり。
顔が違う
家に帰って、少しゆっくりして、後輩と撮った写真を見て、びっくりした。
え?これが、私?
私、こんな顔?
全然笑ってないし、無理に笑おうとしてて超絶ブサイクだった。
おまけにガリガリでめっちゃ老けてる。
写りが悪かっただけ?
慌てて鏡を見に行った。
酷い顔だった。
笑ってみたけど、笑えてなかった。
いつからこんなにブサイクになってたんだろう…
これ、戻るのかな?
老けてるから無理?
こんなブサイクになったの、ショックだなー。
いいとこなしやん。
エッチできない。
妊娠できない。
仕事なくなった。
ブサイク。
あーあ、私離婚されるのかな…
仕事・・・こんなになるまで頑張ってたつもりだったけど、やって良かったとは思えなかったな。
時間が戻るなら、理学療法士になる進路は選ばなかった。
本当に無駄な時間を費やした。
10年も私は何をしていたんだろう・・・
何にもなくなった。
でも全部手放しても良かったから、子どもが欲しかった。
これで不妊治療に集中できる。
絶対に人工授精で決めたい。
***
理学療法士は、国家資格で、就職にはあまり困らないし、私は夫の転勤先でも働くつもりだったから、三学会合同呼吸療法認定士、ピラティス、福祉住環境コーディネーターなど、就職に有利な資格も取って、それなりに頑張っていた。
それでも、今でも理学療法士に戻る気にはなれない。
お金に困ったら、子どものためなら何でもやるけど、進んで理学療法士に戻ろうとは思えなくなった。
仕事っていいことばかりではないし、もちろん不満もたくさんあったけど、これよりもずっと前…バセドウ病になったあたりで退職しとけば良かったなと思う。
人間、心身の・・・特に精神的に限界を超えてやってしまうと、その仕事のことが嫌いになる。
”引き際”って何事においても大切だと思う。
周りの理解も必要だし、金銭的に、環境的に、どうしても難しい人もいると思うけど、
何のために自分を使うのか考えて、なるべく心身のことは最優先して欲しい。
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