第22話:不妊治療⑬手術待ち期間

不妊治療

卵管鏡下卵管形成術は通称FTといい、全国で20ヶ所、私の住んでいる県でも2カ所しか手術ができる病院がない。
そのうちの私が行くことになった1ヶ所でも年間手術件数は400〜500程度
もう1カ所は不妊治療専門のクリニックではなく、総合病院の産婦人科。
当時は例の感染症のパンデミックで、緊急手術以外を制限していた為、FT術は無期限で待ち状態だったのだとか・・・。
それでもその件数。
そのうち両側FTの症例は何人いるだろうか?
またしてもマイノリティ側に入ってしまった。

手術をしていない地域なら、即体外受精案件。
選択肢があったのはありがたかったのか・・・。

当時はまだ体外受精は自費であり、かなり敷居が高かったので、選択肢のある状況で即体外受精とは考えられなかった。
なので、卵管造影で両側に異常があった当日にFT術を即決してきた。
両方詰まってるのなら妊娠確率はゼロなわけだから、早くやりたかった。

ちょうど、本院よりキレイで新しくできた分院の方で手術を扱ってるそうなので、そこに転院することになった。

何も進まず振り出しに戻る

ということで、また振り出しに戻る。
頑張って挿入障害を克服して、病気のコントロールをしても、両方の卵管が通ってないようでは妊娠するわけがなかった。
1年半努力してきたけど、何も進んでいない。
今までのは無駄努力だったのか…
まさか自然妊娠できない体だったとは。

妊活の方はボロボロ。
手術日まで待機。
もちろん妊娠するかどうかは全か無かの結果論なので、
待機期間の周期にタイミングは取ってみたけど、
案の定ド陰性。

このタイミングで妊娠できたら手術しなく済むのになーなんて思ってたけど、奇跡なんて起こらなかった。
そりゃそうだよね。

卵子、もしくは受精卵が通れる通路がないんだもん。
卵管という通路を通れない卵子は体内溶けて吸収されるそう。
でもホルモン変化で生理は来るんだって。
排卵してても、生理がきても、何の指標にもならないなんて知らなかった。

甲状腺の方は薬が効きすぎて、だいたい甲状腺機能低下症
薬が効いてるのならいいか、と思っていたけど、流石にTSHが6を超えてて、流産率上がるし怖くなってきた。
調べたらすぐに出てくるけど、妊娠希望の際はTSHは2.5以下が望ましいとされていて、それ以上となると流産率が上がる。
まぁそれでも絶対的に流産するわけではなく、TSHが10とかでも妊娠・出産した人もいるようで、そこはもう全か無か理論で、わからないそうだけど。

薬が効き過ぎて、結構な低下症になっていたので、減薬して診察は3ヶ月後でOK!ってことになった。

甲状腺はストレスも大きく関わっているそうで、甲状腺専門院ではカウンセリングもやっていた。
この妊活のストレスに加えて、仕事のストレスも凄くて・・・😩
カウンセリングを受けることにした。

仕事のストレス

当時の仕事のストレスについて。
実は、昇格してしまい仕事が結構忙しくなってしまった。

私は職場まで満員電車でだいたい1時間かけて通っていた。もっと近くにしろ!って?
転勤族妻なんだな、これが笑
それに、気持ちの切り替えの為に、職場と自宅で距離置きたい派だったから。
不妊治療にバセドウ病治療・・・専門の病院に通おうと思ったら、さらに1時間かかる。
両方待ち時間はエグいし、一日仕事。
排卵日はギリギリまでわからないし、上司には治療のことは話して、休みに融通を効かせてもらっていた。
品のないことを言うけれど、上司に気に入られる為に必死だった。
だって、上司に気に入られて、融通効かせてもらわないと治療ができないんだもん。

それが全部裏目に出て、昇格の話が出た。
完全に自分の責任。しくった。やりすぎた。

妊活はうまくいってないし、通院や体調のこともあるので昇格の話は何回も断ってたけど、結局断っても同じ仕事をしないといけないようなので、受け入れることにした。
治療費も稼がないとだし。

経営の話もされるし、トップが不在の時の責任者になり謝罪をしに行ったり…
実務に加えてストレスの溜まる仕事が増えてしまった。
というか、実務の量は減らないし、確実に仕事量は増えた。

それだけならまだしも、患者は高齢者が多く、やっぱりまだまだ毎回子供のことを聞かれる。

「まだ子供作らないの?早くしないと(最近結婚した後輩)に先越されるよ!」

「まだ子供できないの?(棒体操の棒でお腹を突かれながら)」

「子供できなくて困ってるなら、俺が代わりに作ってやろうか?」

もう!!どいつもこいつも!!
棒体操の棒でお腹突かれたときは、さすがに固まってしまって・・・周りの人がフォローしてくれました🙏💦

通所リハビリに週に2回くらい通っているお婆さんに、
毎回子供はまだか?とあまりにもしつこく聞かれる為、
「実は病気で妊活を止められてて…」と話したけど、何の効果もなかった。
あの人たちにとっては若い人は元気で病気にならず、なってもすぐ治る。
また、子供は自然にできるものらしい。
「若いんだから病気なんてすぐ治るよ。子供なんてすぐできる。」と一蹴され、また翌日からも子供のことをしつこく聞かれた。
この病気は寛解はあるけど完治はしないんだけどな。
すぐっていつなんだろう?
いつ子どもができるんだろう・・・
1年半も何もできなかったくせに。

その人はよく差し入れを持ってきてくれたりはするし、本人には悪気はない。
私がいないところでも、他の人に「あの子の子どもはいつできるの?」なんて聞いていた。
なんでそんなに私の子どもが気になるのか、他のスタッフが聞いているところをコッソリ聞いてみたけれど
「たらすぱさんには、お世話になったからね。あの子に子どもができたら靴下を編んであげたい」と。
なんだそれ?
全てが思いっきりから回ってる。
真面目にやってきたことが全て裏目に出ている。

私の方から患者を責めることはないけど、パワハラ・セクハラと同じで、本人にいくらその気が無くても受け手が不快ならそれは罪だと思うし、自覚がない奴が1番厄介だと思う。

「子供はまだ?」
「なんで作らないの?」
新しい患者をみるごとに聞かれた。
作らないのでは無く、できないのだ。
一人も子どもができていないのに「子どもは最低2人は作りなさい!」とかも言われた。
はぁ・・・

バセドウ病になる前くらいから、子どものことを言われる度にトイレに泣きに行ってたけど、この頃から、たとえ何も言われない日があってもトイレに行くと自動的に涙が流れた。
自分が壊れてきたのがわかった。

人生初のカウンセリング

そんなこんなで自分でもおかしいと思い、例の甲状腺専門院のカウンセリングを申し込んだ。
カウンセリングは傾聴がメイン。挿入障害のことから、いっぱい話したけど、よく話を聞いてくれた。

カウンセラーさんはしっかりしてるし、カウンセリング自体悪いとは思わないが、私には特に効果はなかった。

私の場合、何度話を聞いてもらっても「子供ができないと解決しない」という答えに行き着くのだった。
でも、それができない。
そう、もう子供という結果しか私を慰めるものはない。
でも、それができない。
ずっとそのループ。
まだまだ子どもを諦めて、現実を受け入れるなんてできない。
結局はまだいっぱいいろんなこと我慢して、頑張らなきゃ…

***

本当はカウンセリングって、話してもらっているうちに自分で、解決の糸口に気づくのが必要なんだと思う。(大学生時代に少なくとも私はそう習った)
でも、当時は”子どもができる”以外の解決策以外見えなかった。

検査薬で陽性が出たら…
妊娠できたら…
子どもができたら…
全部解決すると思ってたし、それしか自分を癒すものがないと思ってた。

確かに自分を取り巻く状況が変わると、自分が立ち直る手立てにはなる。
でも根本的なところは自分で解決しなきゃならない。
子どもができたら全て水に流せる?
全て解決?
不妊治療にかけてきた時間もお金も戻らないし、言われてきた言葉もなかったことにはできなかった。

子どもができてからは、不妊治療してた時より、心はずっと軽くなった。
でも、子どもができて全て解決とはいかなかった。
子どもができたという状況や環境に変えてもらうんじゃなくて、自分が変わらないと過去と和解できないことを知った。
まぁ、子どもができて、精神的に余裕が生まれたから気づけたことだと思うけど。

結果的に子どもができなくても、自分を取り巻く状況や環境の力を借りずに、自分で変わって受け入れて、立ち直ろうとしている人もいる。
その人たちから見たら、そうする以外に方法がなかったのかも知れない。
それでも本当に強い人だと思う。

私は、まだまだ自分の力ではなく、偶然の状況や環境に助けてもらってる。
このブログを自分で始めたことで、自分の力で変化を起こしたり、過去と和解する手立てになったらいいな。

あ、これカウンセリングのは関係けど、読んでました。良本です↓


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