私がまだ本格的に妊活をする前に、第1子を出産した友達がいた。
まだ私もその時はよくわかっていなかったけど、1度流産して、いろいろ苦労してたのは聞いていた。
その子とは元々仲も良く、私の妊活事情も概ね知っていて、今回の病気になって妊娠がしばらくできなくなったことも、かなり話を聞いてくれていた。
自分の体のことを知らない私たち
私がだいぶ回復してきて、仕事復帰のカウントダウンが始まり、ウォーキングなど頑張っていた時、夜に何度か彼女と会う約束をした。
彼女はもう育休も明けて、仕事復帰していた。
忙しいのにも関わらず、わざわざ私に気を遣って子供を寝かしつけた後、夜に車を出して送迎してくれていた。
「私、流産した時、子どもとか妊婦見るの辛かったから。
小さい子どもいたら嫌でしょ?
私が性格悪いだけかな?笑
シフトも妊婦と被りたくなくて、妊婦の同僚を避ける感じでシフト希望書いてた💦」と。
恥ずかしそうに笑いながら話してたけど、当時は相当辛かったんだと思う。
いつも彼女が私の家まで車で、迎えにきてくれて、そのままうどん屋へ。
その時の気分で、景色の良いところまでドライブをしたり、カフェでダラダラして話したり。
そういうルーティン。
私の方からは聞けないし、彼女から流産の話はガッツリとは聞いていないけど、
たまにポツリポツリと話してくれる。
私が患者さんに子どものことを言われて嫌だった話をした時に、
「わかるー!!私も流産の手術をした後に、高齢患者に子どものこと聞かれた!!
こんな仕事じゃなかったらこんな事聞かれないのかな?って思った。」
というように、少しずつ彼女自身の話をしてくれる。
後に私が妊娠してから、流産が怖くて”たまひよ”が買えない話をした時にも、
「私も!!
初期流産が15%もあるなんて知ってた?
私知らなくてさ、もう妊娠したら子どもってできるものだと思って、ウキウキでたまひよ買って、流産したから、泣いてたまひよ投げた。
あれどこいったかな?笑
もう一回妊娠した時はなかなか買えなかった。」と。
今でさえも初めて聞く話だってある。
今では笑いながら語る彼女だけど、きっと私の知らない辛い記憶がまだまだあるのだろう…
また彼女は続けて、「そんなに初期流産があることも、ちゃんと教えておいて欲しかった。
それならあんなに期待しなかったし、”たまひよ”もすぐ買わなかったのに。
余計に傷ついた。
妊娠もすぐできるから、ちゃんと避妊しなさいというようにしか習ってないし、
実際に妊活したり、妊娠してから知ることばっかりで、
私たちって何も現実を教えられてないよね?」と。
まさにその通りで、この手の話題はタブーと化していて、今の教育はどうかはわからないが、当時の私たちはまともな教育を受けていない。
生理が来れば、赤ちゃんを授かることができると聞いていたし、
すぐに妊娠するから絶対に避妊しないといけないと聞いていたし、
避妊の方法は教えてくれるのに、肝心な排卵日がどうとか妊娠の方法は誰も教えてくれていなかった。
流産や不妊の話なんて微塵も聞いていなかった。
妊娠適齢期があり、それを過ぎると妊娠しにくくなるとか、流産は癖になるとかは聞いたことがあったが、
自分はちゃんと生理が来てても、妊娠適齢期でも、人工的なアシストがないと妊娠しない人だったし、
流産は癖になるとか科学的根拠のない話ではなく、不育症という病態があること、
私たちは、もっと前に自分の体のことを知っておきたかった。
カミングアウト
ところで、なぜうどん屋限定なのかって?
彼女は胃の調子が悪いそうで、うどんなら食べられるということで、ずっとうどん屋。
ん?
っと思った方、正解◎
ある日、帰ってからLINEでカミングアウトされる。
こんな感じの内容のLINEだったと思う↓
「私の胃もたれ、本気で心配してくれてるし、私自身これ以上隠すのは辛過ぎて限界になった。
実はまた妊娠してて…こんな時に動揺させてごめん。
嫌だったらしばらく会わなくてもいいから。」
と。
つわりで、うどんしかコンスタントに食べれるものがなかったというわけです。
第1子の世話もしながら仕事もして、
わざわざ私に気を使って子供を寝かしつけてから、
つわりもあるのに、たくさん話を聞いてくれて、
それから第2子のことを罪悪感でギリギリまで言わなかった彼女のことを思うと、
私の方こそ申し訳なかった。
気にしなくていい旨を伝えて、逆に気を使わせて申し訳ないというような返信をしたと思う。
でも、もちろん私だって人間だから動揺はした。
多分彼女なら大丈夫だと思うけど、次会った時に
彼女に対して嫌な気持ちを持ってしまったらどうしよう…
彼女のこと大好きなのに…
自分がどう思うかわからないから怖い…
嫉妬に狂って、あの子のことまで嫌になったら、そんな自分がもっと嫌になりそう…
もうこれ以上自分に失望したくないのに・・・
カミングアウトされて、初めて会う時はそんな不安を感じた。
バセドウ病で休職・不妊治療中止になった話 | たらすぱ☆ブログ (tarasupaneko.com)
↑
こんな風に、急に無理なものが増えたこの時期だったから、大好きな彼女に対しても、自分が何を思うかもわからず、自信がなかった。
ドキドキしながら会ってみた結果・・・
めちゃくちゃ普通だった笑
全然いつも通り。
取り越し苦労だったようで、安心した。
救い
彼女が流産をした時も、ちょうど遊ぶ約束をしていた。
「ちょっと体調が悪くて入院するから、遊ぶ日を変更してほしい」
と連絡がきた。
少しやり取りをした時に、直感で流産のことはなんとなくわかった。
遊ぶ日を変更して、彼女と会って、体調の心配はしたけれど、詳細は彼女が何か言うまでもちろん聞けなかった。
遊びも終盤にさしかかり、流産のことを打ち明けられて
「何も聞かないで普通に遊んでくれてありがとう。何も考えずに遊べて楽しかった。」
というようなことを言われた。
情けない私は打ち明けられても、気の利いた事は言えなかったと思う。
それでも彼女は、私と全然違う話をするのが気分転換になって嬉しかったそう。
「だから、何でも聞くよ。私も夜に1人で出かけられるの楽しいし。」
と言ってくれていた。
夜のドライブで会う度に、学生の時みたいに、2人でずっと話をしていた。
彼女がカミングアウトしてからも
変わらず彼女の人間性が好きで
夜にうどんを食べに行って、たくさんお話しするあの時間が癒しだった。
それからも何の変わりもなく関係性は続いた。
本と睨めっこしたり、
いろんな心理学の勉強をしたり、
我慢せずに泣いてみたり、
いろいろしてきたけど、休職中の私の癒しは彼女だった。
その時、
彼女のお腹の中の子と、同級生の子ができたらいいな・・・
と、叶うかどうかはわからないけど目標ができた。
***
子育てを全くしていなかった当時も、第一子を育てながら、仕事復帰して、かつ妊娠中でつわりもある中、私と会ってくれているだなんて、すごいことだと思うし、かなり申し訳なさを感じていた。
今思うと、そのすごさがもっと身に沁みてわかる。尊敬しかないわ。
そんな、一生で出会えるかどうかわからないような友達、大事にしないとね。
彼女のお腹の子どもと同級生の子を産む目標・・・
まぁ…過去振り返って書いてるんから言えるけど、その目標叶わなかったんだけどね💧
むしろ、彼女の第3子と、私の長子が同級生
・・・だなんて、当時のバセドウ病のせいだけで妊娠ができないと思ってる私には、
言えやしない、言えやしない・・・笑
それでも、子どもができたことはまだ幸いだよね。
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