第54話:不妊治療㊺2回目の判定日

不妊治療

本当に症状が消えたので、当日朝もフライング検査済み💧
陽性なのは嬉しいけど、数値は心配。

検査薬はhcg50で反応するから、例えくっきり反応が出ていてもBT12(判定日)でhcg50では妊娠継続がかなり難しく、1回目の移植と同じ結果であることが考えられる。

何かそれらしい症状があれば、もっと気持ちは違ったんだと思うけど、通院の時からドキドキでトイレ行きまくり💧

初めてのおめでとう

採血して、いつもの診察室で待たされる。
私の結果が書いてある紙が目の前にあるのにふせて待たされている。
感染症対策のアクリル板を挟んで先生のパソコンの上だからちょっと遠い…
でも、私1人だし普通に見るよね笑
大きなアクリル板をずらして、ちょっとお邪魔させてもらいました😅

hcg807.3  陽性

急いで手持ちのスマホで妊娠継続率の計算アプリで計算…妊娠継続率95%!?
(慌ててやったので、実はこの数字間違えてます笑 後日わかることですが、89.5%でした。)
前回8%とかだったのに!

やったー✨とか思った瞬間、普段は結構待たすくせに急に慌てて先生入ってくるから、急いで退散して、何事もなかった顔をして、座った💦笑

急いで、診察室に入ってきて、第一声・・・

「おめでとう」

先生「今日から妊婦だと思ってちょっと大人しく行動してね。ここからはこっちも妊婦さん用の治療に切り替えるね。」

「(わー✨ちゃんと陽性反応出たらこんなこと言われるの?先生も違うけど、前とコメントが全然違う。)よかった。ありがとうございます。」←感動の瞬間かと思ったら、既に結果見てたからやや棒読み💧

先生「よかったね。前はhcg低くてダメだったみたいだけど、これだけしっかりhcgでてたら多分大丈夫。ホルモン値もいいです。」

嬉しい言葉をもらえて、

甲状腺の病院には早めに行くこと(判定日の翌々日に予約済✨)
不妊治療の薬はまだ継続
出生前診断の案内
胎嚢確認・心拍確認などの予定説明
出産院を決めておくこと
それぞれ説明を受けて、薬もらって終わり。

いろいろパンフレットや紙の案内とかもらったんだけど、
「妊娠おめでとうございます。予定日は9月10日です」って紙に書いてて、なんかびっくり😳
まだ心拍確認もしてないのに💦とりあえずは良かった✨
この紙は捨てられなくて、今でも持っています。

1年前の今日も新年早々1発目から通院だった。
その日は待合で、患者さんが、お腹押さえて体引きずりながら受付にきて、
「さっき…卵管造影やって…痛過ぎて…、受付で痛み止めもらうように言われたんですけど…」って言いながら倒れて、吐いて運ばれていった。
そしてその日に卵管造影の説明と同意書渡されたという…

もちろん得意の言い訳(笑)で
「待ってください。私は妊娠許可が出たのは今年に入ってからなのに、一度もトライせずにあんなに痛そうな検査をする気になりません!」と言い、その日は同意書にはサインしなかったが、結局、検査の怖さより、妊娠できない辛さの方が大きくなり、すぐ検査に進み、なんと両側異常ありで手術になった💧
そして、その手術をしてくれたのが今日の先生だった。

本院は、手術や高度不妊治療は対応してないから、そこから分院に通うようになり、分院で初めて出会った先生で、オペ室で股越しに自己紹介されたのを覚えている笑

あの先生に始まり、あの先生で陽性判定ってなんか感慨深いなぁ。
このまま胎嚢確認→心拍確認ができたら卒業。
来週、また通院。胎嚢確認できますように🙏

陽性判定後の世界

昨日は本当に嬉しくて浮かれてた。
だって約2年半続けた不妊治療で(挿入障害の受診は10年前から)、初めての「おめでとう」だったんだもん。

hcgだってちゃんと出てたし・・・
妊娠継続率だって良いし…

検索癖は直っておらず、判定日に私とほぼ同じくらいのhcgで稽留流産してる人をSNSで発見。

自然妊娠の妊娠初期の流産でさえ8〜15%と珍しくないことなのに、体外受精となると20%と流産率は上がる。
受精の段階まで人工的なアシストが加わるから、染色体異常が淘汰されにくいという…
さらに体外受精で産まれる子は過去最高で6%程度。(これは圧倒的に体外受精まで進む人の母数が少ないのもあるが)
不妊治療を受ける人が増えてきたとは言っても数値としてはこんなもので、圧倒的にマイノリティだ。
そして私は、その少ない方ばかり引き当てて引き当てて、こんなところまで来てしまった。

私だって初めは普通に妊娠できると思ってた。
母も姉も1発デキ婚だし、妊娠しやすい遺伝子とさえ思ってた。

挿入ができたら…
婦人科に通ったら…
不妊治療専門院に通ったら…
タイミングが合えば…
バセドウ病がコントロールできたら…
卵管造影をすれば…(痛みの代償として、造影剤で卵管が広がって半年は妊娠しやすいゴールデン期が得られるのだが、両側詰まってた私には痛いだけでゴールデン期なんてなかった)
卵管の手術をすれば…
人工授精をすれば…
体外受精をすれば…

不安の9割は起こらないそうだけど、不安にも思ってなかった想像以上のことが立て続けに起きたから、気付いたら妊娠関係で信じられることは何もなくなっていた。

自然妊娠で不妊治療をしたことがない人にそれを「子供のことを信じないから妊娠できない!子供がかわいそうよ!あなたが信じてあげないで誰が信じるの?」と余計な叱咤を受けたことがあるが

信じることで染色体異常がなくなり流産がなくなるのか?
流産をしたことがある人に信じる力が不足していたと責め立てるのか?

やはり、不妊は病気ではなく当事者の生活習慣や年齢、精神的な問題と世間に見なされがちなところは結構あって、その都度怒りを感じた。
でも、知られていないのだから、仕方ないのかも知れない。
私だってこんな経験をしなければ、わからなかったことが沢山ある。

不妊治療をしてから、まさか私が!?の連続だった。
流産するに違いないとまでは思い詰めていないが、あり得ない話でもないなとは思ってる。

ずっと、ずっと、妊娠する為だけにここまで頑張ってきた。
陽性判定後の世界はもっと過ごしやすいものだと思っていた。
外出しても、子供や妊婦を見ても心穏やかに過ごせるのかと思っていた。

いつまでも頭は不妊脳で、
あんなにお腹が大きくなるまで健康に育っていいなぁ…
子供が産まれてくれるなんていいなぁ…
ベビーカー押しながら、もうお腹が大きいなんて、すぐ子供ができる人はいいなぁ…
と、他人の事情も知らず、他人が羨ましかった。


私の性格のせいかもしれないが、やったー!!陽性✨とはならず、思っていた景色とは違って、心地良い世界ではなかった。
でも今までよりかはちょっとマシかな…1人じゃないし。ちゃんと私と共にいるし、辛くても1人で頑張らなくていい。
胎嚢確認ができて、心拍確認ができて、もう少し週数が進んだら考え方も変わってくるのかな?

***

この記事がちょうど2年前の今日、1月4日のこと。

現在は、2024年。
元旦から大地震に、その翌日に物資を届けようとした飛行機の事故。

今回の地震では被害はありませんでしたが、私も、過去に震度7の経験者で、地元が真っ平らになり、ライフラインは全て経たれ、住めなくなったので、転校した身。
親戚や、当時幼稚園児だった友人も亡くなりました。
卒園式は仮設で、参加できる人のみ。
亡くなった友人の親は遺影を持って泣いていました。
別の友人は幼稚園児にして、両親とも亡くなりました。
当時は幼かったけど、ちゃんと全部覚えています。
そのくらい衝撃的な出来事でした。
いろんな光景は多分絶対に忘れないと思います。

絶対に忘れられないこともあると思いますが、時間や環境が解決してくれることや、解決とまでは行かなくても、少し気持ちが落ち着くこともあると思います。

早く事態が落ち着いて、被害に遭われた方が安心して暮らせる日が来ますように。

このクラスの災害は、対策していたからといってどうこうできるものではないけれど、できることはやっていこうと思う。


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