最後の投稿 ※今後のネタバレ

不妊治療

ここから、妊娠・出産編、障害児育児と続けるはず・・・でしたが、以下の理由でブログ自体をやめようと思っています。
・年間使用料が発生・・・の割に、忙しくなり書く時間が圧倒的にない。
・広告収入がない→収入目的ではないため、これでもよかったが、上記の理由に加えて、プラグインにも料金が発生しそう。
グーグルアドセンスを取ろうにも、おそらく挿入障害のことで性的なコンテンツとされ、申請が下りない💧かといって、挿入障害めっちゃ悩んだし、書かないわけない。

誰にも知らせていないのに、意外と読んで下さる方がいたこと・私自身の気持ちの整理として、皆様には大変助けられたので、最後に妊娠してからの盛大なネタバレを簡易的に書こうと思います。
・・・まるで打ち切り漫画のよう笑

第一子出産の奇跡

無事妊娠できたものの、バセドウ病の症状が酷くなり何度も病院に相談していたが、甲状腺専門医は「妊娠中は免疫抑制されて、だんだん良くなってくるから、これから良くなります。大丈夫。」の一点張り。
結果、妊娠後期に産科Drに高血圧・頻脈・手足の震えを指摘され、甲状腺専門院にもう一度行くように言われ、検査の結果、特大悪化→早急に指定の大学病院(遠方、ここ以外となると県外)に転院・入院という経過を辿ります。

甲状腺専門院では「今も胎動ありますか?💦」と衝撃の質問をされ、診察中に他のDrも電話で呼び、Dr数名で会議・・・
転院先の大学病院では「このままでは母子ともに出産を超えられない可能性があります」と初診で言われ・・・
大学病院での診察の結果、子が三尖弁の逆流・心肥大・心嚢水貯留の所見が急に見られ、このまま心不全になる可能性が高いとのことでMFICUに入院。
そのまま当日に帝王切開をするつもりで、各検査を受け、絶食し、ルートをとり、荷物はオペ室に運ばれるも、謎に少し良くなったので、そのまましばらく入院。
「少しでも心不全徴候が悪化すると、すぐ帝王切開します」と説明を受ける。
31Wだったので、早産で出すためのステロイド注射を打ち、NICUに挨拶に行く。
「出さないと胎児の治療はできないし、このままだと持たないので、帝王切開は確実。あとは、なるべく状況を見ながら週数を伸ばしたい」と言われるが、謎に回復し退院できる。(医学的にも説明がつかないそう笑 Dr数名で集まり、首をかしげていた)

遠方の病院なので、計画分娩予定が、急に陣痛がきて37Wで出産。
陣痛で丸3日徹夜し、子宮口がなかなか開かず、促進剤・人工破膜、いきみに合わせて卵膜剥離など行い、なんとか出産できたが、子はすぐ運ばれ、私は癒着胎盤だったらしく、そのまま用手剥離😭(痛いヤツ。あ、因みに私は痛みに弱いから、無痛分娩の予定だったけど、子が弱ってたから却下されてます💧)
1L近く出血し、Hb13→7まで急に下がる。
脈が160以下にならず、甲状腺クリーゼ疑いで、心電図をつけたままベッド上安静で、食事・子の面会・子の状態説明も全て中止。
検査で甲状腺クリーゼは否定され、少しずつ動いて良い範囲が広がった。
分娩中から目がかすんでものが二重に見えるようになり、汗が目に入っただけと思っていたけど、一向に治らず、安静が解除されて鏡を見にいくとビックリ・・・目が腫れ上がって飛び出てた

MRIで目の筋肉に炎症が確認でき、甲状腺眼症の診断で、治療開始。
息子は新生児バセドウ病で約1ヶ月入院し、新生児育児はできず。(妊娠中に私から胎児にいってた薬が切れた瞬間の劇症発症で、一時期NICUに入り、なかなか危ない目に遭うも、元気に退院。1歳までフォローがあるも、特に問題なく診察終了。)

甲状腺眼症の治療は、瞼の裏をメスで切開して、テノン嚢ってとこまで注射の針(長い)を進めて打つ💉見えてるから、めちゃくちゃ怖い・・・😱
再発もして、合計4回処置しました。大学病院には2年くらい通ったかな。
炎症があるときしか治療ができないから、症状固定ということで、若干の眼球突出と複視が後遺症で残った。

2人目どうする?問題

もともと不妊だとか、何も知らない結婚したてのときは、2人欲しい。男と女1人ずつ😊と、性別指定までして厚かましい願いを持っていたけど、不妊治療をしていくうちに、「1人でも良いから欲しい」に変わった。
でも、高度不妊治療をして、凍結胚ができたら、誰だって簡単に凍結胚の破棄なんてできないと思う。
それに、こんなに苦労して産んだ息子はかわいすぎた。
不妊治療をしていたときに、何も知らないBBAに”不妊治療より産んでからの方が大変”なんて嫌みを下さいましたが、全然そんなことはなくて1歳までは楽しい子育てをさせていただきました。(そこからできていたことができなくなり、1歳半になる前くらいに発達障害を疑い、楽しいだけの子育てではなくなったけど。)

また産後はさらに甲状腺が悪くなり、2人目を望むなら甲状腺全摘を勧められた
・・・が、2人目のことも手術も決心がつかないまま、とりあえず治療していると、大学病院の名医にめちゃくちゃ良くしてもらって・・・しかも、その先生超人格者で、話を聞いてもらっているうちに、この先生がコントロールしてくれるなら・・・と、2人目を望むようになった。

不妊治療では若いからすぐ妊娠できる大丈夫と言われ、甲状腺のコントロールをすれば大丈夫→卵管の手術をすれば大丈夫→人工授精をすれば→体外受精をすれば・・・
前の甲状腺専門院では大丈夫大丈夫と言われまくって、結果コレ。
もう医者の大丈夫なんて何も信用できなかったけど、絶対に大丈夫と言わないこの大学病院の内分泌の先生のことだけは信用できた。実力も凄かったしね。

もちろん私にとって2人目トライは簡単に決められるものではなかった。
不妊治療を再開する勇気、金銭的な問題、次もバセドウ病がどうなるかわからない、また難産になり今度はもっと酷い後遺症が残る可能性がある・・・
それでも、もう一人欲しいと思って、覚悟を決めて頑張った。

とは言え、バセドウ病のせいで妊活許可まで1年半かかった。
その間、不妊の検査を進めたけど、もう2度とやるまいと思ってた子宮鏡・卵管造影検査をし、卵管形成術をしたのにも関わらず、両側卵管閉塞になっていた💧なんと、圧をかけても造影剤が全く入らず、栓をしていたバルーンが圧で抜けると言う事態が発生した(痛かった😭)ということで、やはり私は体外受精以外で妊娠は厳しいみたい。
でも、不妊の原因がハッキリしているので、2人目は体外受精1回で妊娠できた。
原因がハッキリしているので、スピリチュアルやクソバイスを押しつけてくる人への反論が完璧にできる!!!そこだけはいいところ!笑
出産して1年半後にやっと、内分泌移植の許可をもらい、やっと移植、陽性・・・
息子の自閉症疑いを指摘されたのはその後だった。
2人目トライのことでも凄く悩んで決めたのに・・・やっと移植して陽性をもらった直後なのに・・・
もともと自信があったわけではなかった。
ちょっと背伸びしてトライした2人目だった。
私なんかに子ども2人なんて高望みしすぎたのかも知れない。
2人育てる自信は急になくなった。

2人目出産まで

毎日必死だった。
体調は悪いけど、息子の自閉症についてあまりにも知らなさすぎた。
制度のこと、特徴のこと、対応のこと、今後のこと。知れば知るほど自信をなくした。
悪阻はピークのときに、療育園の見学に行き、なんとか療育に繋いだ。

ホッとしたのも束の間で、2人目の前置胎盤と癒着胎盤がわかり、帝王切開で産むことになった。リスクは高く、出血多量が予測されるため、2回入院して自己血貯血をすることになった。
しかし・・・妊娠後期にRSウイルスとコロナに感染。
コロナのため、2回目の入院ができなくなった。
前置胎盤のせいか、子は下の方で真横になっており、よくお腹が張る(でもバセドウ病のせいで張り止めは使えない)、お腹がパンパンでいつもトイレに行きたい、足に血がいかないのか足全体が痺れて冷たくなり、よく攣る。
さらに、予定帝王切開の日の前日に出血・・・(緊急手術になるとこだった💦)
もう今度こそ死ぬんだ・・・妊娠・出産はどこまでも上手くいかない。
やっぱり私に子ども2人は贅沢すぎた。
息子ともお別れなんだ。
・・・と思ってたら、大門美智子風の産科の先生がオペめちゃくちゃ上手くて、息子を産んだ時と出血量もそう変わらず(それでも貯血1回分を戻してもらってさらに元気)、オペ時間も予定よりかなり早く済んだ。
術後はそれなりに痛かったけど、トラブルもなかった為、息子のときより全然元気✨
今回は後遺症もなく、術後も元気に経過。
娘は早産で出した関係で血糖と甲状腺の数値に異常があって、ちょっとGCUに入院したけど、一緒に退院できました。

手術室で閉創している時に「今までが貧乏クジを引きまくったから、今回も上手くいかないかと思った」と言った。
周産期センターが強い病院だから、重症になれてる大門先生はバカにしたり否定したりするかと思ったけど、そんなことはなく「手術は全部うまいこといったし、前日の出血なんてなかなかないよ。入院してるときに出血で良かった。もっと早期で出血してたら、そこから出産までずっと入院しないといけないところだった。この子が生まれて、今から流れが変わるよ。」と言ってくれた。
優しい人たちに囲まれ、心配していたトラブルもなく、とっても良い最後の締めくくりになるお産になりました。

たくさん覚悟して、ちょっと背伸びをして臨んだ2人目。
妊娠してすぐ息子の自閉症がわかり全ての自信をなくした。
なんで2人目なんか望んじゃったんだろう・・・この子をかわいいと思えるのだろうか?と思ってしまうのだろうかと心配していたけど、、、
娘はかわいいでしかないです😊

最後の出産を終えてから

やっと、凍結胚も納得して手放すことができて、産むことができなかった他の子たちに対して罪悪感がいっぱいだったけど、今では少しの罪悪感はあっても「頑張ったよ」と胸を張ってお別れができた。

不妊治療も妊娠も出産も育児もマジョリティー側には入れなかった。
自閉症は治らないし、現在進行形で大変なことはいっぱい。娘だって、これからどうなるかわからないし、きょうだい児問題もある。
毎日やることや学ぶことはいっぱい。
障害児育児も「神様が・・・」とか「妊娠中の栄養が・・・」とか「健常の子の子育ても大変だよ!」(不妊治療中に言われた「子育ての方が大変だよ!」的に経験してもない事を自分の物差しでしか測れず押しつけるタイプね)とかなんとか?笑
不妊治療と言われること一緒で、もうハイハイって感じ。
若くして病気したり、不妊だったり、障害児親だったり、マイノリティーは言われることは一緒だね。そして言う側は、何に対しても同じ事を言うことしかできなくて、凄く頭が悪いんだろうね笑
たくさん苦労はしたけど、まぁ強くなったよ。
でも、今回の妊娠・出産騒動は自分の力だけでは到底乗り越えられなかった。
いろんな人に助けられて、いろんな人が手をかけてくれて、それでも上手くいくとは限らない厳しい世界の中で、誕生してくれた2人を誇りに思います。
これからも大変なことはあると思うけど、頑張るね。

今まで読んで下さって、ありがとうございました。

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